神殿とは、わたしたち自身のことでもある。わたしたちは時々わたしたち自身を「強盗の巣」にしてしまってはいないだろうか?
本当は私たち自身が「祈りの家」にならなくてはいけないのに・・・。「祈り」に満ちた存在にならなくてはいけないのに・・・。
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この神殿清めの事は、4人の福音史家が全員記録しています。最後に書いたヨハネは「イエス様の復活」にかけて一番詳しく書いています。神殿の境内で牛・羊・鳩を販売しているのを見て“縄で鞭をつくり”とヨハネは書きます。本気になっているイエス様を見ることが出来ます。きれい事で誤魔化すのではなく、祈りの家である父の家を大切にしたい気持ちが伝わってきます。「民は皆、イエスの言葉に“心奪われて”聞き入っていた」のは、イエス様の本気度が、民の心を動かしたのでしょう。私達もイエスの言葉で、心奪われたい。
Tpaolin
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