「不正な管理人」の譬えの後半です。朗読箇所で、「不正にまみれた富」の直訳は「不正のマンモン」で、意味するところは「天の富」に対する「この世の富」と言うもので、不正な手段で得た富と言う意味では有りません。
この世の富を利用して友を作れと言うのは、ルカに於いては特に貧しい人々への施しを指し得ます。此処で「友達」は文字通りにとっても良いのですが、神のなの遠まわしの表現と解釈する事も出来、この世の富で、天に富を積めとも解釈できます。「金が無くなった時」は、金の価値の役に立たなくなった時、或いはこの世の富が終わりに来た時、即ち「死の時」か「終末の時」を指します。「永遠の住い」とは、神の住まう所の終末思想用語です。「極小さな事に忠実、云々、大きな事にも不忠実」と言う格言は何処にでも通用し得ますが、この文脈においては宗教性を持っており、管理における忠実さにおいて管理人は不忠実ですが、イエスの弟子達・教会員は忠実であるべき、と言う教えです。
「不正にまみれた富について忠実、云々、本当に価値在るものを任せるだろうか」は格言の応用で、「この世の富」は人を神から遠ざける機会になるので、「不正にまみれた富」と言われます。其れに対し「本当に価値在るもの」とは不動なもの、確かなもの、堅固なもので在り、弟子達・教会にとっては「真理の言葉・福音」を意味します。
飯田徹
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