1973年の春、生まれ故郷での初ミサのために、10年ぶりにイタリアに帰国しました。初ミサの次の日曜日、私は生まれ育った町の教会でミサを司式し、精一杯お説教しましたが、故郷で錦を飾るどころか、ミサが終わってから「何だ、その話し方は。声を張り上げないし、まったく手を動かさない…」と批判されました、その時に「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と今日の福音の言葉を思い出しました。
確かに、霊的な実り豊かさをもたらすのは、説教師ではなく、み言葉そのものです。使徒職において、都合の悪いことを申し上げなければならないこともあり、主イエス様のように、皆によく歓迎されないこともあるかもしれませんが、最後まで、キリストの証人として、み言葉の種をまき続けるようにいたしましょう。
Achille Loro Piana
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