今日のみ言葉

今日の『み言葉』(聖書朗読箇所)をよく噛んで、
ゆっくり味わいながら頂くように致しましょう。
『み言葉』はリンク先「今週の聖書朗読」で読むことが出来ます。
どうぞご利用下さい。
2012/09/01    年間第21土曜日 1コリント 1/26-31 マタイ 25/14-30
 
 終末の裁きに於いて、人は否応無しに、救いか滅びかの二つに分けられます。この選別の基準は、終末を迎える以前の現在をどの様に生きるかであって、信仰者がそのままで救われるとは限らず、終末が容易に到来しないと思われるならば、現在の倫理的生が益々重要性を持ちます。此れがマタイの主張する所謂「中間期の倫理」で在って、24:45からの三つの喩え、「忠実な僕と悪い僕」、「十人の乙女の喩え」、そして本日の「タラントンの喩え」は一貫してこのテーマで編集されています。「タラントンの喩え」はルカに並行箇所が在りますが、ルカでは前4年の時代史的エピソード、ヘロデ大王の死後、その子のアルケラオが王位を得るためローマに赴いた時、ユダヤ人はそれを阻止するための嘆願運動を起こしますが、後にアルケラオに依って復讐の弾圧を受けた事が、反映されています。しかし、マタイに於いては、既に寓喩化が進んで居り、「在る人」はキリストを、「旅に出る」のは地上の生から離れて天上的存在となる事を、「僕達」はキリスト教徒を、主人の旅が長引いた事は終末の遅延を、主人の帰還と清算は終末の到来と裁きを、それぞれ意味します。また終末の裁きを明示するため、始めの二人の僕に対する主人の褒め言葉「主人と一緒に喜んでくれ」は、喜びの祝宴への招待で在って、祝宴が終末的イメージを持つ事は22:2、25:10に見られる通りです。また第3の僕への叱責は、最期の滅亡を現すマタイの常套的編集句です。つまり、此処で僕に判定を下す主人は通常の資産家では無く、メシア的祝宴に人を招き入れたり、永遠の罰を下し得る再来のキリストです。喩えの要旨は、主人の旅立ちをきっかけにして資金を預け、帰還において清算するのであって、資金と共に主人の不在期間を如何活用するかが問題となっています。此処で、僕達は一般のキリスト教徒とも取れますが、マタイ福音書が教会論的で在る事を考えますと、僕達は教会の指導者達と言う事になり、タラントンは指導者達に託された信者達、設けたタラントンは宣教司牧の成果となり、教会指導者達への職務に良く励む様にとの警告となります。
 
飯田徹

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Last updated: 2012/11/30

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