今日のエレミヤの預言では、エレミヤに対して祭司と預言者とが反対します。「都に反対する預言をしたから、死罪に当たる」と。それに対してエレミヤは、「あなたがたがよいと思うことをするがいい。ただ、私を遣わされたのは主だ」と反論します。
御用預言者なるものがいたことが伺えます。王や高官たちに、もしくは祭司や他の預言者たちに、あるいは民に都合のいい「預言」をする預言者。しかし、神の思惑と人間の思惑が違うのは、私たちの経験しているところ。そして、人間の思惑の中に神の思惑を投じて大きな波紋を呼ぶのが預言者である。「御用」であるなら、預言者の役割を果たしていない。
残念ながら、神の言葉を語る預言者は少なからず人間に殺されていった。神の言葉が人間の思惑に封じ込められていってしまった。
本当にそれで終わってしまったのだろうか。否!
天主は賛美せられさせたまえ!
John Goto
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