イエスはたびたび喩を使って神の国についての語っておられます。神の国とは地上の国ではなく、神の愛の支配を指しているのです。イエスはしばしば、神の国の神秘を命の「エネルギー」に例えて、小さなものから大きなものへ、隠れた形から明らかにされる形へ、また、種、果実や木の成長のイメージなどを用いて描写していました。
新約の時代は新しい・古いと言う比較を超えます。福音の新しいぶどう酒はモーセの律法の古いぶどう酒にまさり、メシアの時代は、繰り返すことのできない新しさを持っています。その力を古い体制の中に閉じ込めることができません。
イエスは神から遣わされた花婿として私たちの間に立ち、全ての人に神の喜ばしい知らせを伝えようと望み、全ての人を神の国の食卓に招いておられるのです。この花婿の友人として、ふさわしい心を持っているかどうかという事が私たちの今の課題です。
マタイは、イエスの弟子にふさわしい心の持ち方を教えていると思います。「誰も、新しい着物から布切れを切り取って古い着物につぎ当てる者はないし、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れる者もない。」マタイはイエスの福音の新しさを、新しい着物や新しいぶどう酒に例えています。中途半端な古さのものには新しいものを生かす力はないのです。思い切って、私たちの心と言う器を新しくしなければなりません。
その為には、どうすればよいのでしょうか。イエスの弟子としてイエスに倣うことしかないのです。
Fr.Tadeusz
|