「兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た」とあります。この水と血が教会を表しているという話は置いておいて、今回は「心臓は傷つくことで、その中身が現れ出る」ということについて考えてみたいと思います。「心臓は」と表現しましたが、西洋では心臓と心とを別の単語で呼びませんから、西洋人が心と心臓とを結びつける感覚は、日本人のそれよりは随分強いものなのかもしれません。「心臓は=心は」と読み替えていただいて結構です。
さて、私たちが家族や友人を心から愛しているとして、それをどうやったら巧く表現できるでしょうか。贈り物をする。奉仕をする。優しい言葉をかける。…色々考えられるでしょうが、それで思いのたけを伝え切ることができるでしょうか。聖書には「友のために命を捨てること」が愛情表現の限界として示されています。心の中身が表に現れるのはそれが傷ついたときであるということを考えれば、私たちが日々忍んでいる様々な痛みは単なる苦痛ではなく、愛情表現の機会であると言えないでしょうか。
eno
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