今日の福音では、親として心配な出来事が記されています。旅の途中で、12歳の少年を見失ったからです。心配でもと来た道をもどって行くと、神殿の中でその姿を見つけ出しました。母マリアは言います、「なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と。親として子供のことを心配していること、その声も強い口調になりがちです。母マリアとて同じことでしょう。それに対する少年イエスの答えは落ち着いたものです。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。両親にはこの言葉の意味が分からなかったと、聖書にはあります。分からないことも含め、母マリアはいつもイエスのそばにあって、その出来事を心に納め、生涯をかけて神の愛を生きることになります。それは私たちの信仰の模範です。今日は聖母のみ心の記念日でもあります。聖母のみ心を深く黙想いたしましょう。
TH
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