イエス時代のユダヤには、その宗教的勢力によって民衆に影響を及ぼすグループがありました。サドカイ派、ファリサイ派、律法学者です。この三つのグループの考え方、生き方が大きく異なっていたのです。サドカイ派は、大祭司と神殿に仕える祭司、少数の裕福な貴族によって構成された支配階級でした。政治的には、自分たちの地位と富を守る為に、占領軍であるローマ人に協力する保守派でした。宗教的には、「モーセ五書」のみを正典とし、それ以外の預言者や歴史書、そして、律法学者が付加した注釈や先祖からの習慣を認めませでした。つまり、モーセ五書だけが権威ある教えと見る事によって、サドカイ派の人々は知的、霊的なエリート意識を持つようになり、それが障害となって神の力の偉大さを見落とすようになっていました。
サドカイ派の人々は「モーセ五書」には復活について何も記されていない、復活はないと考えていました。彼らは、七人の兄弟の嫁になった女性は、復活の暁には誰の妻になるのですかと尋ねました。この世と後の世を同一視している証拠です。次の世は、この世の単なる延長ではなく、全く新しい世界であり、「天使のようになる」結婚生活はなくなると言う事です。ただし、男性と女性という区別は残ります。
復活は「生き返り」ではない事です。キリストが在世中さまざまな奇跡を行った事が、福音書に記されています。その中には、親友ラザロや、ヤイロの娘や、やもめの一人の息子を生き返らせた奇跡があります。しかし、これは復活とは違うのです。奇跡によって生き返らせられた彼らも、後にはその生涯を終えて死ぬのです。これに対して復活は新しい永遠の生命に生きる事であって、そこにはもう死はないのです。
Fr. Tadeusz
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