福音はヨハネ最終章から「イエスとその愛する弟子」です。「あの夕食の時」は当然最後の晩餐の席を指し、イエスは裏切り者がいる事を予告し、ペトロが愛弟子に合図をして、誰の事かと問わせた事に言及しています。
此処でヨハネはもう一度ペトロとの関わりの中で愛弟子を確認し、特に「イエスの胸元に寄りかかったまま」という言葉を繰り返しています。恐らく「弟子達の筆頭はペトロで在るが、イエスが最も愛したのは」と言っています。「イエスの胸元に寄りかかったまま」という言い方は、1:18で独り子なる神イエスが「父の懐に居る」という言い方と極めて似ています。神は独り子なる神イエス以外によっては知られない。イエスはイエスの懐に居る愛弟子以外によって知られない、と言っている様です。ペトロにとって愛弟子の存在の優位が気になるという設定で描かれます。此処でペトロや12使徒に権威を置く教会と愛弟子に権威を置く教会の関係が問われていると言えます。イエスの答えは、一方が殉教死し、他方がそういう死に方をしないとしても、其処に優劣を論じる事は許されないと答えている様です。
イエスとペトロ、イエスと愛弟子、それぞれ賜物が違い、イエスとの関係が具体的に違うと言う事が示されており。此の事によっては恵みに何の変る事が無い、またイエスの信頼も派遣されるという事において全く変わらないと言う事が指示されています。
飯田徹
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