A年 マタイ11・25−30
わたしの心がイエス様の心のようになりますように・・・。今日は特にそう祈りたいものです。
イエス様の心のようになるにはどうしたらいいのでしょう。今日の福音にヒントがあります。「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」とイエス様御自身が言われております。イエス様の軛は「十字架」。「十字架」は愛のしるし。
第2朗読の中でヨハネが私たちを励ましてくれています。「互いに愛し合いましょう。・・・愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」と。
キリストのように考え、キリストのように話、キリストのように行い、キリストのように愛しましょう。力の限り・・・(典390)
mickey sdb
B年 ヨハネ19・31−37
6月は「み心の月」。今日はイエスのみ心の祭日です。
ミサの中の叙唱には「キリストは限りない愛をもってわたしたちのためにみずからを渡し、十字架に上げられ、その貫かれた胸から血と水が流れて、教会の秘跡の源となりました」と祈ります。
今日の福音も十字架上のイエスの姿があります。わたしたちのためにささげてくださった愛、わたしたちのために残して下さった愛をしっかり見つめ、黙想しましょう。そしてイエスのみ心を生きる喜びを味わうことができますように。
TH
C年 ルカ15・3−7
よき牧者の姿・心は、私たちにイエス様の姿・心を連想させる。
失われたものを尋ね求め、
追われたものを連れ戻し、
傷ついたものを包み
弱ったものを強くする。(第1朗読)
自分の命も顧みずに、命を懸けてそうされる。
そんな優しい大きな愛にふれるとき、感謝の思いを抱くと同時に、自分の小ささを知る。まだまだ人を十分に愛せない自分の姿に気付かされる。
イエス様の心にふれて、自分の心が大きく豊かになれることを日々求めて参りましょう。
mickey sdb
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