『使徒たちの宣教』を読む時、ペトロ、パウロたち使徒たちの熱意には驚かされます。様々な苦労、妨害もかえりみず、彼らはひたすらイエスの御言葉を伝え諸国を巡っていました。彼らの努力によって初代教会は発展してきます。ところで今日の箇所を読む時、一つの表現に気づきます。「教会はバルナバを・・・派遣した」「彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。この箇所から、宣教活動の主体は個々人ではなく、「教会」であることがはっきりとわかります。個々人の勝手なイニシャティブではなく、教会と結ばれている意識、教会から派遣されている意識が彼らの中にあったことが、初代教会の発展の原因と言えるのではないでしょう。
このことは現在の私たちの宣教に対する取り組みにもヒントを与えてくれると思います。私たちが御言葉を伝えようとするとき、「教会から派遣されている」、「司教様との一致のもとに活動している」。あるいは「修道会のアイデンティティーを生かす形で」、「修道共同体から派遣されている」ということを意識しているか、自分に問いかけてみることも大切なことだと思います。
Daniel
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