あまりにも有名な場面です。身重のマリアが、山里のでこぼこ道を、急ぎ足で先輩にあたるエリサベトを訪ねられた時の状況が描かれています。
エリサベトという鏡に写されたマリアは、そこに自分に与えられた神の恵みをはっきりと見ることができ、神を賛美したのです。
この賛美は、突然、口をついて出たのではなく、マリアの心に蓄積された瞑想の数々が祈りのことばになったと考えられます。たとえば、サムエル記のハンナの祈りもそうです。それが今日の食卓を飾った「マグニフィカト」です。
旧約聖書のこのような素材が、身分の低い者、飢えた者に対する神の憐れみを称えるマリアの祈りとなったのです。
食卓の味わいは、二人の身に起こった聖霊のひびきをもたらしました。マリアに生じた聖霊の実りは、エリサベトの胎内の子を喜び躍らせたのです。聖霊のこだまが、み言葉の味をひきたたせます。
岡 道信
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