教会では司祭・修道者の召しだしが少ない事を、よく「刈り入れは多いが働く人が少ない。」という今日の福音のイエス様のお言葉を借りて嘆いたり、懸念したりするのを見たりします。ところで、日本の教会は(日本人の)信徒の数に対して司祭・修道者の数が世界でも多い国とされています。(喜んでいいのか、反省すべきなのか、複雑な思いをしますが・・・)
だから日本ではむしろ「収穫は少ないが働き手は多い」と、今日の福音とはあべこべな事になっていると言われても仕方がないかもしれません。日本は特殊な状態、状況、環境だということでしょうか。日本には、教会のほか、カトリックが運営母体となっている様々な事業体があり、確かにこれらを通して多くの人々が、福音に接したり、キリストの教えに触れているはずなのです。しかし、彼らがなかなか洗礼にまで踏み切れない、たどり着かないでいます。彼らはキリストの教えの素晴らしさも知っていながら、その教えに関心を示すに留まるのは何故でしょう。多くの人は、その教えと生き方の素晴らしさ故に、自分はとてもキリスト教徒になる資格がないと思ってしまう傾向が強いような気がします。正直、私自身福音宣教をしながら、いまいち感動を与えることが出来ないもどかしさをよく感じます。感じてはもらえても、そこから動くこと、動かすことが難しいのです。救いの体験を味わうまでに至らしめられないのです。福音を伝えて、本当の感動を与える事が出来るように励みましょう。そのためには、先ず自分自身が、福音を深く味わい感動することが求められているのです。
mickey sdb
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