今日の福音は、二人の目の不自由な人のいやしです。彼らは、自分たちが見えないということを理解して、受け入れていた者です。しかし、彼らはどうしても治りたいと願っていました。そこで、自分の力ではどうにもならないことが分かっていたので、イエスなら必ず直してくださると信じて、それを願いました。イエスが「私にできると信じるか」という問いかけに対して「はい、主よ」と彼らが答えていることからも分かります。
視力のある人は、毎日いろんな事柄を見ています。けれども人の苦しみとか痛みなど、他のいろんなものが見えていないということに気づいていないように思います。つまり本当の意味で大切なものが見えていないということです。
それは自分の力では見えないかもしれません。けれども、見えるようにいやされた彼らのように、私たちもイエスを信じて、本当の意味で見えるように心から願わなければならないのではないでしょうか。
NICCHI
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