このたとえ話は、農夫たちの残虐な姿が読む人に強烈な印象を与えます。収穫を受けるために送られた僕たちを次から次へと殺し、最後には跡取り息子までもぶどう園に連れ出して殺してしまいます。実に残酷な話です。
イエスはまるで敵意とか残虐さなど、人間の醜い部分を強調しているかのように思えます。確かに人間の内面にはこのような一面が隠れているように思います。
歴史を振り返って見ても、ナチスのホロコースト、ユーゴスラビアやウガンダ等の民族間の虐殺行為、あるいは宗教や思想の違い等から起こった殺戮、そして無差別に行われるテロ行為等、人間の尊厳を無視するかのような残虐な行為がいつの時代も繰り返されてきました。
このような事を見るときに、「人間とはどこまで醜い存在なのか」ということを思いたくなります。しかし、それに対してイエスの人間としての姿というのは、私たちに人間の持つもう一面を示しておられます。それは愛に生きる美しい姿です。憐れみをもって、貧しい人たちや苦しむ人たちに手を差しのべられ、私たちのためにご自分の命までも惜しみなく与えられたイエスの姿は「人間とはなんて素晴らしい存在なのか」ということを思わされます。
私たちも人を思いやり、命を尊重する豊かな人間性を持つために、イエスのように神を求め続けていかなければならないと思います。それは人間が最も人間らしく生きることができるのは神の力にほかならないからです。
NICCH
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