イエスの宣教は洗礼者ヨハネと同様の言葉で始まる。「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝えられる。
以後、イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、病人をいやされる。この「回って」という言葉の中にイエスの宣教に対する熱意が感じられる。イエスは福音を伝えるため、心の闇に住む人々のために、急いで探し回るのである。神の似姿として造られた人間は「悔い改めて」こそ、天の国の幸せに与ることができる。人々には神のみ言葉を聞く権利がある。たとえ中には反対する人がいても。
このイエスの宣教プログラムは教会の宣教プログラムでもある。
イエスは弟子を招き、自分の使命を分かち合ったのだ。私たちもイエスから選ばれた弟子である。
年の初めに当たり、私たち一人ひとり、自分の慣れた場所に留まっていないで、イエスのように出向いていって、「回って」宣教する使命をいただいていることを、もう一度意識する必要があるのではないだろうか。
A.C
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