週日のみ言葉と福音朗読

今日の『み言葉』(聖書朗読箇所)をよく噛んで、ゆっくり味わいながら頂くように致しましょう。
 
『み言葉』はリンク先「今週の聖書朗読」で読むことが出来ます。どうぞご利用下さい。
 
 
音符のイラストのところをクリックすると、朗読を聴くことが出来ます。
 
朗読者:石川裕美
311      年間第30火曜日 ルカ 13・18−21
 
福音はルカから「からし種とパン種のたとえ」でした。この二つの喩は神の国の喩ですが、始めの行「そこで、イエスは言われた(毎日のミサでは、「その時、イエスは言われた」)」の「そこで」が「それ故」或いは「従って」と言う語ですから、先行の安息日の癒しの意味を説明する役割を持っています。
 
 ここでの二つの喩は、その中心が小さな初めと大きな終わりと言うコントラストにあります。これを安息日の癒しに応用すると、18年間も病魔に犯されて腰の曲がっていた女が、イエスの言葉の介入によって一瞬の内に真っ直ぐになると言う、古い惨めさから新しい完全さへの転換のコントラストは、見えざる神の国の実現の見える徴です。それは人目には小さく惨めなからし種が空の鳥も巣を作るほど大きくなり、僅かなパン種が3サトンの粉を膨らまして、沢山のパンを作ると言うコントラストに似ています。そして先の癒しは、安息日の癒しとしての問題性を抱えて居るので、後の二つの喩にはもう一つの意味が在ります。
 
 イエスの神の支配ッ神の国は、律法の遵守によって来るものでは無く、律法の枠内に閉じ込められるものでも無く、ユダヤ民族内に限定されるものでも有りません。からし種に於いて「木の枝に空の鳥が巣を作る」と言う表象は、旧約における異邦人の表象です。これによって神の支配がユダヤ民族に限定されない事が示唆されます。パン種の喩の場合も僅かなパン種が3サトンの粉を膨らませて沢山のパンになると言う時、無数の多くの人々が神の国を受ける事を意味し、これはイエスが神の国を教えて殆ど成功しなかった、ユダヤ民族の限界を超える可能性を示しています。
 
飯田 徹
年間 第30火曜日 ルカ13・18−21.mp3
 

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Last updated: 2015/8/19