主イエスはエルサレムの神殿に上られたとき、夕暮れになるとベタニアのラザロの家に泊まられたようである。エルサレムの近郊ベタニアには、ラザロ、マルタ、マリアの三人きょうだいが住んでいた。伝統的にはラザロが長兄、マルタが姉、マリアが妹とされている。神の国の宣教から帰られたイエスと弟子たちの接待に、マルタは甲斐甲斐しく立ち働いて、おそらく猫の手も借りたいほどだった。ところが妹のマリアはイエスの言葉に聴き入っていてさっぱり手伝ってくれない。そこで姉はイエスに「何ともお思いになりませんか」とやんわり苦情を言ったというのである。
姉の不満は当時の風習から云えば当然なことだった。イエスの時代、宗教的な勤めは男の仕事で、男に全く従属的な位置にあった女性は、聖書を学んだり、礼拝したりする義務はなかった。むしろ神に仕える男性に奉仕することが求められていた。マリアはその務めを果たしていなかったのである。
きょうのイエスの言葉の真意は「男も女も神の言葉を聞いていいのだ。それは誰にでも出来ることであり、それが最も大切なことなのだ」ということであろう。マルタが聞いた言葉のうち「必要なことはただ一つだけである」が、いまの私たちに伝えられている。この言葉は様々な思いからマルタを解放してくれる福音だった。きょうのエピソードは、私たちがどんな思いに縛られているか、私たちに本当に必要なことは何なのかを問いかけている。
村上康助sdb
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