今日の福音は、私たちキリスト者の基準のようなものを示しているということができると思います。私たちは、神に受け入れられたいと思っています。実際、神は私たちを受け入れてくださっています。では、私たちは神を本当に受け入れているでしょうか。その基準になるのが、この個所であります。
神は私たちがいつも受け入れやすいと思えるように、私たちの都合のいいように私たちの側にいらっしゃるわけではありません。時には、騒がしく、言うことを聞かず、自分に反抗し、罵倒してくる時もあるわけです。自分の時間をどうしてこの人(子)のために使わなければならないのか、と思ってしまうこともあるでしょう。実にその通りです。しかし、神が私たちを受け入れてくださったように、私たちが誰かを、時には自分自身を受け入れるとき、私たちは本当の意味で、つまり自分の都合と関係なしに、神をお迎えすることになるのでしょう。これはキリスト者の日常における、最も大きなチャレンジの一つであるように思われます。
John Goto
|