人々から、田舎あつかいをされたガリラヤ。そこには湖があり、きれいな花が咲き乱れ、心なごむガリラヤで、苦しみ、苦しめられて人々、病んでいるものを癒され、多くの人々に、父なる神のメッセージを伝えたイエス。
ある意味で、のびのびとした宣教の姿がほうふつされるガリラヤを離れて、イエスは自身に与えられた本格的な使命を果たすために、エルサレムに向かわれます。
「エルサレムに向かう決意をされた」という言葉の真意は「顔を固められた」ということです。これから、自分に降りかかってくる苦しみ、あざけり、不理解などを一身に受けようとする覚悟のほどがうかがわれます。
まず、途中、サマリアを通られます。犬猿の仲であるサマリアはイエスを受け入れません。弟子たちは怒り、災いを招こうとします。弟子たちの思いやりをイエスは叱りました。再三、予告したイエスの受難を彼らは理解していなかった。
エルサレムの途上では、弟子たちの不理解は謎のままでした。師であるイエスの言葉が、腹の底から呑み込めたのは、ご復活の後でした。
道
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