「......何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」この逆説でもって、イエスは宣教師の姿を描き、宣教活動の根本を教えて下さっているのではないでしょうか。宣教師は、おのずと、自分の持っているものを分かち合い、培ってきた信念や、価値観や信仰を伝えていくのです。言い換えれば、自分を与えているのです。
それはすばらしく、高尚なことですが、諸刃の剣のように、あぶないことでもあります。その危険というのは“自分を伝える”ということです。人々は宣教師の私ではなく、キリストを必要としているのです。したがって、私と私のものすべては、キリストを伝え、人をキリストに出会わせる道具にすぎないということです。
自分が道具だという意識の度合いに応じて、神が働かれ、人がキリストに出会い、”神の国が近づいた“というキリストの言葉が実現するのです。
ロロピアナ
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