カトリックと縁もゆかりもない人たち数人から共通して言われたことがあります。それは…、「マザーテレサってすごい人だったよねぇ〜」って……。キリスト教の何たるかなど全く分からない人でも、彼女が証しした信仰の生き様は大きな感銘を与え続けています。
それだけに、私たちが何を“信じている”のかは、その人の“生き方や行ない”に現われるんですよ!ですから、その人の生き様の証が何を信じているのかの証になります。なるほど…まさに「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」と語られる通りです。「人の口は、心からあふれ出ることを語る」ように、私たちも信仰のうちからあふれる具体的な行いをたくさんしていきましょうね。だから信仰って、「信仰そのものがすぐに見える」と言うよりも、徐々に「信仰は見えてくるようになってくる」のかもしれません。
そこで、イエス様も実と木を引き合いに出しますよね。「実」を結ぶためには「木」が必要だって…木って一朝一夕には育たないでしょう。一生かかって育つものじゃないですか……だから、信仰の実りを結ぶ上でも、神さまはすぐに結果を求めていないと思います。キリストそのものが「木」になって下さるでしょう。しかし同時に、私たち自身もキリストに結ばれた枝として、人生の年月のうちに成長し、信仰の実を結ぶ生き方を通して証しし続けていきましょう。
FR.NAO
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