日本人は、赤ちゃんが生まれた時、「健康で、人さまに迷惑をかけないような子に育ってくれればいい」と思う親が多い。そこには「自分が迷惑に思うようなことを人にしてはいけない」ということが重要なのだという価値観がある。
しかし、今日の福音で、イエスは、そのような消極的な言い方ではなく、「神を愛しなさい」、「隣人を愛しなさい」という積極的な言い方をしている。消極的な言い方だと、これはしていけない、これもいけないという細かい規定を作らざるをえなくなり、それらに縛られることになってしまう。そして他人を裁くことにもつながり、自由ではない。
「神と隣人を愛する」という積極的な言い方への転換は、生き方の基準や中心を自分にではなく、「神と隣人を愛すること」に置くということである。キリスト者の生き方というのはこういうものだ。イエス自身がこれを実践していた。イエスは、隣人を愛するがゆえに、安息日の細かい規定なども相対化していた。愛のゆえに、自分へのこだわりからも、この世からもまったく自由であった。私たちも何かを決断する時、また自分たちの在り方を探し求める時、その基準は「神と隣人を愛する」ということでなければならない。
Tsujiie
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