今日の福音にあるたとえ話は、「天の国」が例えられているようですが、2,3回読んだくらいではなかなか分からないものかもしれません。むしろ、なんかこれおかしくない?と素直に受け止められない気持ちさえ抱きそうです。特に最後の部分に…。一体何を云わんとしているのでしょう。
婚宴は「天の国(神様の愛)」、招かれていた人々は、「祭司長や長老たち」、後から招かれた人々は、それ以外の「すべての人々」が例えられています。きっとこれは想像がつくことでしょう。では「婚礼の礼服」は何が例えられているのか?聖書学者によりますと「感謝の気持ち」ということのようです。
神様は積極的に全ての人々を「天の国」(俗に言う天国というよりも神様の愛の意味合いが強いもの)に招かれています。私たちはその招きを感じているでしょうか。気付いているでしょうか。神様の前で、自分の思いを優先し、大きな態度をとり、ある意味、傲慢な姿勢、生き方をしていることははないでしょうか。あるいは、神様の思いを無視、拒否してたり、逆らったりすることは…。幸せを感じても、誰がその恵みをくださっているのか知らない、気付かないでいて、しかも、その恵みに浴することに感謝の念も抱かずにいると、罪を犯すことになるということでしょう。
今一度、自分自身をちょっと振り返ってみましょう。
mickey sdb
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