今日の福音の「たとえ話」において、「主人」に象徴されている神様の公平さに、不公平を感じ、神様の正当性に不正当な印象を持ってしまい、後の者が先になること、後から来た者に追い越されることの、悔しさと苛立ちを想像し、なにかしっくりこない気持ち、報われないことへの不満や納得し難い感情が湧く人は多いかもしれません。
わたしは7人兄弟の末っ子。小学生の時、兄・姉たちを羨ましく思ったことがありました。「兄・姉たちは自分より長くお父さんとお母さんと居る。僕は最後に生まれたから、一番短い。ずるい。」と・・・。でも「僕」は気付きました。最後に生まれてきたけど、兄・姉たちと同じように愛されている。(もっとかもしれない。)親は、最後に生まれてきた子も同じように愛するのです。この気付きに今日の福音を理解するヒントがあるような気がします。
神様の愛、恵は皆、同じように与えられているのです。善人にも悪人にも。「わたしは罪人だから与えられる恵は少ないし、愛されるわけがない。」? そうでしょうか。その罪を全てゆるしてくださるという恵を神様は用意しておられ、それほどまでに愛しているのです。
mickey sdb
|