今日のイエスのことばの前半は否定的な響きがあります。「見えない」「聞かない」「理解できない」と。しかし、その対象は古の人々や預言者たちが求め続けたものです。だからそれを目の当たりにすることのできる弟子たちは「幸い」とイエスに言われるのです。
問題はどこにあるのでしょうか。単純明快です。人間の内側にある「かたくなな心」です。イエスはそのかたくなな心をあきらめることはしません。「たとえ話ででも伝えたい」という思いがあります。御父は私の壁、かたくなさを打ち砕くための備えをきっと与えてくださいます。そうでなければ、誰も救われないはずです。心のかたくなさが打ち砕かれたとき、この「天の国のたとえ、神の国の奥義」は遥かな時をこえて響いてくるのではないでしょうか。
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