律法学者とファリサイ派の人たちは「しるしを見せてください」とイエ ス様に迫ります。しかしそれは彼らが自分たちの目にしていることを認 めたくないためでした。一方彼らはきっと心の奥底で、「この人の言っ ていることは正しい。自分たちが間違っている」と分かっていたと思い ます。分かっていて自分の非を認める勇気がなかったため、かたくなに 現実に目をつぶってしまったのです。イエス様を見ているとかえって自 分の醜さが見えてくることに耐えられなかったのでしょう。
自分を振り返ってみると、自分の中にも彼らと同じかなくなさがあるこ とに気づかされます。自分を必要としてる人が隣にいる時、「あなたの 時間を、あなたの力をこの人のために使いなさい」とイエス様が私に語 りかけているのは分かっています。分かっているのに、それを認めたく ない自分、弱さに負けてしまう自分が時としてそこにあります。隣人か らもイエス様からも目を背けてしまう自分は、イエス様から目を背けた あの律法学者やファリサイ派の人たちを簡単に裁いてはいけないと思い ます。
Daniel
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