「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ12・17)
イエスは、律法を遵守しながらも「神の求めるものは憐みである」(マタイ12・7)との姿勢を貫いている。『彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる燈心を消さない。』(マタイ12・20 / イザヤ42・3) 。イエスは、痛めつけられた人々を訪ねて救い出すメシアとして行動する。それは、『わたしの心に適った愛する者。』(マタイ12・18 )として、復活に至るまで続くのである。
わたしたちもイエスに倣い、他者に対して憐み深いもの、そして神のみ心に適った生き方ができれば幸いである。神の計らいによって、そのお恵みを頂きたいものである。
秀昭
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