今日の朗読箇所では5つの「偽善者」という言葉が見られますが、原文では3回です。もちろん3回でも十分に多いといってよいでしょう。同様に「報い」という言葉は4回、「(父が)報いる」は3回出てきます。これらのキーワードをもとに、今日の朗読箇所を1行でまとめると「他人に報いを求めるのは偽善。神に報いを求めるのはOK」となりますが、少し疑問が残ります。
神なら良くて人ならダメなの?そもそも報いなんて求めるべきものなの?見返りを求めないのが本当の愛の業なのでは?…いやはや、最もな疑問です。これらの疑問に対しては様々な回答が考えられますが、一つだけヒントを残したいと思います。
ここで触れられている、施し・祈り・断食という3つの行為は、(特に四旬節に勧められているものですが、)実践してみると中々に厳しいものがあります。このような、いわゆる「犠牲」を人知れず、頑張って捧げている人々に向って「報いを求めてはいけない」と諫めることが、果たして慰めになるでしょうか。励ましになるでしょうか。
…マタイの思惑は「偽善者の断罪」ではなく「無名の奉仕者への労わり」にあるということではないでしょうか?
eno
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