弟子達に「祈り」をせがまれたイエス様が教えてくださった「祈り」です。後半部分で「わたし達の負い目をお赦しください。」と願いますが、イエス様はそれに条件をつけられます。「わたし達に負い目のある人をすでに赦してしまったので」と。
福音書の他の箇所で、イエス様はたとえ話で「赦す」とはどんなことかを教えてくださいます。マタイ18章21節以下に、「一万タラントンの借金のある家来が借金を赦してもらう。その家来が自分に100デナリオンの借金のある人に出会い、赦さなかった。そのことが主人に告げられ、その家来は赦してもらえなくなった。」とあります。そして、35節で「あなたがた一人ひとりが、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」と述べられます。
マタイ5章23節〜24節では「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」と言われています。
わたし達は、「主の祈り」を唱えるたびに、「赦し」について心に留め、思い巡らすことが求めれています。
国松
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