「姦淫してはならい」という言葉の背景には、「他者の人間関係(結婚)を尊重する」、それは「結婚関係における女性の地位を尊重する」(日本基督教団出版局『新約聖書注解』)ということがあるそうだ。
幼いときの兄弟喧嘩は、幼いがゆえに、相手かまわず叩いたり蹴飛ばしたり、意地悪を言ったりもする。そこには、相手への尊敬といったものが欠けているのかもしれない。しかし、幼い子どもの兄弟喧嘩には可愛さがある。もし、大人が他者を尊敬せず、尊重することのない勝手な振舞いをしたとしたら、いったいどうなるのだろうか。わたしたちは、それぞれがより良き人生を歩めるように、お互いに尊重し合う生き方を選び歩みたいものである。
また、「姦淫」は心の中に起こるものであるがゆえに、イエスのことばに従って歩めるように聖霊の豊かな照らしと導きを願いたい。
「主イエスを復活させた神が、イエスとともにわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださる」(2コリント4・14)と信じながら。
濱口秀昭
|