福音はマルコから「「葡萄園と農夫」の喩」でした。「葡萄園と農夫」の喩の始めの描写はイザヤ書5:1以下のブドウ畑の歌を思い出せます。そこではブドウ畑はイスラエルの民、所有者は万軍の主です。万軍の主は善い葡萄でなく酸っぱい葡萄を実らせた葡萄畑を「焼かれるに任せ・・・・踏み荒らされるに任せ」ます。この様にして神の期待に応えないイスラエルの民に対する神の厳しい審きが告げられます。
福音の喩においても葡萄園はイスラエルの地、その所有者は神です。ですから、この喩は、イザヤ書の葡萄畑の歌と同様に神とイスラエルの民の関係を語るものとして読めます。福音ではイスラエルの民は神の期待に応えないばかりでなく、神に反逆し、神から遣わされた預言者達を侮辱したり、迫害したり、殺したりし、最後には神が遣わした愛する子イエスをも殺してしまいます。しかし神は、この殺人事件をも御自分の救いの計画に取りこむ事がお出来になります。
ただただ、神の偉大な可能性に圧倒されるばかりです。その偉大な可能性に信頼したいと思います。
飯田 徹
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