「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」とイエスは弟子たちに語る。その命じることとは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」ということである。この愛の掟を守ることによって、弟子たちはイエスの友と呼ばれる。
イエスは、弟子たちを愛にますます駆り立てる。ご自分の死期が迫っていることを察していたからであろうか。ご自分の使命を弟子たちに託しているかのようである。
きっとそうだったのであろう。「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」という。なぜならば、「父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」
『友』と呼ばれるのは嬉しいことである。しかし、イエスから託された使命は、もの凄く大きなものであり、人間一人の力だけでは到底実現できないようなものである。だからこそ、「互いに」に意味があり、またその使命は神の助け無しには実現できない。イエスも父なる神とともに働き数々のことを行ったように、弟子たちもイエスとともにあって、互いに愛し合って行く時にイエスから託された使命を生きることができた。
イエスが弟子たちに与えた使命は弟子たちだけのものだろうか。現代のキリスト者、わたしたちにも当てはまることだと思う。
「わたしがあなたがたを選んだ」とのイエスのことばに信頼して「互いに愛し合う」という使命を実らせるように努めたい。イエスから「友」として神の国に迎えていただく日まで。
濱口秀昭
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