ヨハネ15章のイエスのことばには、1世紀後半にヨハネのグループがユダヤ教から現実的に受けていた迫害がその歴史的背景にあると言われています。ヨハネのグループはユダヤ教の会堂から追放され、ユダヤ教から異端宣告を受けます。つまり実際に「世から憎まれた」のです。その結果、ヨハネのグループから脱落し、キリスト教から離れていく者、迫害から目を背けるために「かくれキリスト信者」になる者が出てきた訳です。それだけにヨハネの共同体は、その迫害を耐え忍び、ヨハネのグループに属する信者達が最後まで「イエスと言う幹につながる枝である」よう励まします。この1世紀後半の状況を理解すると今日の福音箇所「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害する」ということばも容易に理解していけるでしょう。現実に迫害の憂いに遭っていたのです。
今、現代社会の中で私たちはキリスト者であるという理由で、この世から迫害を受けることはありません。但し、大いに注意しなければならないのは、この世とは別の生き方をしているわけではなく、むしろ、この世と全く同じあり方をして、信仰生活を生きていないかという部分です。つまり、この世と同じあり方をしているので、この世から何とも思われていないカトリックになっていないかを考えなくてはいけません。
FR.NAO
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