15節、16節に「引き渡す」という言葉が繰り返されています。この「引き渡す」と訳されている言葉は「裏切る」と訳すこともできます。同じギリシア語です。12弟子たち、後の教会をつくる中核となる弟子たちの中から裏切りがうまれてくるのです。教会の外からではなく、仲間に属している者の中がイエスを売り渡すわけです。教会の最初からそうだとすれば、教会の歴史の中でそういう事が起こってもなにも不思議ではないわけです。
イエズス様はこれから始まる受難の中で引き渡され続きです。いつも受動態、されるがまま、受身のままであります。自分が好きなように生きる自分がしたい生き方ではなく、されるがままの中でイエズス様の救済の歴史が完成していくのです。
私たちも自分の思いではなく、主の思いが私の中に実現しますようにと、自分を引き渡す、聖なる三日間でありたいと思います。
M.M.Joseph
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