ある人から以前、こんな話しを伺った事があります。「私も大いなる奇跡を目の当たりにしたら回心するかもしれない」と。確かに、人間の力を遥かに超えた大きな力に、人間は驚嘆するものです。確かに驚嘆はしますが、その大いなる出来事が直接的に、宗教的かつイエスが望む回心に結びつくかどうかは非常に怪しいものです。それを象徴するかのように今日の「金持ちとラザロ」のたとえ話は興味深い記述をします。
金持ちは「もし、死んだ者の誰かが兄弟のところに行ってやれば悔い改めるでしょう」と、まさに超常現象を通じての回心の可能性を訴えます。しかし「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言う事を聞き入れはしないだろう」と。
モーセと預言者が意味するのは「聖書のみことば」です。つまり神のことばを聞き、それを実践しないものは、例え大きな奇跡や超常現象が起こっても何一つ変わらないと。つまり、はっきり「無駄だ!」と語ります。人間を根本から変えて、回心に導くのは聖書のことばです。それゆえに「(私たち)には、モーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」を肝に銘じなければいけないでしょう。
私たちが真に聖書のことばに耳を傾けた時、自分の目の前にいるラザロに何をしなければいけないのかが、自ずと見えてくるものなのです。
FR.NAO
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