イエスはエルサレムに上る真の意味を弟子たちに語り聞かせますが、後の表現から弟子たちは理解していなかったようです。しかし、ゼベダイの息子たちの母は、直感的に最期の決戦の時が近づいたことを推察して、イエスに自分の息子のことを頼みました。この願いは、「二人の兄弟のことで腹を立てた。」という表現から分かるように、イエスの弟子であれば、誰もが(私たちも含めて)抱く望みでした。ただ、イエスの考えと弟子たちの考えとの間に大きな隔たりがありました。すべてイエスから来ていることで、イエスが決めることだと思っています。しかし、イエスは何回となく、ご自分が天の父から派遣された者である事を伝えています。世の終わりの決済も天の父が決めることだということをここで、もう一度伝え、世の価値観でものを見ないように勧めています。特に、皆から評価されたいならば、権力を振り回すのではなく、「私が生きたように」仕える者に、そしてみんなの僕(しもべ)のようになることを勧めています。
四旬節にあたり、自分の生活を振り返り、神のしもべとして歩んでいるかを点検しましょう。
POOH
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