普段の生活で社会常識を優先していると、実はイエスの生き方に反していたり、今日の福音のようにイエスに去ってもらいたいと思っていることがあるのではないでしょうか。
ゲラサ人の地方でイエスは汚れた霊に取りつかれた人から霊を追い出すのですが、人々は正気になったレギオンにとりつかれていた人を見て「恐ろしく」なります。人々は彼に起こったことと一連の出来事を聞いてもイエスのことが受け入れることができなかったので、イエスを去らせようとしたのだと思います。イエスの行いは人を救うすばらしい事であったにもかかわらず、おそらく人々の常識を越えてしまった出来事であったので受け入れることができなかったのでしょう。
わたしたちは人間であり、人間社会で生きていくことは必須です。ただ今日の福音のように、イエスと社会通念の間に隔たりがあるときはどうしたらよいのでしょうか。わたしたちはキリスト者としてイエスを模範として、神様の望まれる道を歩むことができるように祈り、求めていきたいものです。
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