「ムナのたとえ」です。マタイ福音書の「タラントンのたとえ」と似ていますが、いろいろ違うところもあります。ただ、ここからのメッセージを汲み取るうえで、違いを大きく取り上げる必要はないと思います。ルカでもマタイでも、このたとえ話は、これから受難へと向かおうとするイエスの最後の話ということになっていて、とても大切な位置づけになっています。
エルサレムはイエスの生涯で最も大切な十字架と復活の舞台です。この出来事を通して、人間に最高の愛と、真の希望が与えられます。
キリストが再び来られるまで、どのような生き方をするか。神様がしなさいということをする。それだけだと思います。私たちに今日求められていることは、主の受難と復活の恵みに強められて、失敗を恐れずに、み言葉を大胆に伝えていくということです。
失敗を恐れずに・・・。しかし失敗とは何なのか。決して事業経営に失敗したとか、受洗者が少ないとか、そんなことではないのです。失敗、それは、福音を布に包んで、しまっておくこと、福音を隠し、福音を見えなくしてしまうことなのだと思います。
自分がキリスト者であることを、自分が信じ、自分がそれによって生かされているイエスの福音を、隠してしまうことです。
kita
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