今日の福音では、イエスの弟子として生きるための条件が語られている。それは、何よりもまずイエスを第一とし、他の一切のもの、自分の家族も自分の命も捨てさることである。つまり、イエスに自分のすべてをかけるということである。そこには当然、置いてきたものがあり、痛みが伴う。それはまさに「自分の十字架を担ってイエスについていくこと」である。
自分をかけるということは一生涯深めていくこと。だから「一切を捨てる」ということも一生涯の作業。私はまだまだ捨て切れていないものはたくさんあるということによく気づかされる。自分へのこだわりがこんなにあるのかということにびっくりしてしまうこともある。今日の福音で言われているように、じっくり腰を据えて、「どのようにしたら、この自我というものにうち勝って、よりイエスに従うことができるのか」を考え、日々、イエスに自分をかけていきたい。
Tsujiie
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