今日の福音書に登場する会堂長は当時のユダヤ社会において、きっとみんなから尊敬される真面目で模範的な存在であっただろうと推測されます。だからこそ、律法に忠実な彼はイエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、当然のこととしてこう言ったのです。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」
それに対してイエスはこう答えます。「この女はアブラハムの娘なのに、十八年間もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
私たちにも同じことが言えます。ルールに忠実であることは大事であるが、それを守ることに逆に捕らわれてしまっていでしょうか?小教区(教会)内でも似たようなことがありませんか?たとえば「この人は普段、教会に全然顔を出さないのに自分の都合のいい時だけ来て、すぐに帰ってしまう・・・」とか言う非難の声を教会委員のような立場にある人から聞くことがないでしょうか?
「安息日の主」である神様は「ゆるしの神」「どんな人にも寛大な神」であり、実は私自身もその神様の寛大さに救われているのです。
ぼすこ
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