イエスが弟子たちに語られる途中でペトロは「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか。」とイエスに問いかけます。このことに対してイエスは「弟子たちのためだ」とか、「みんなのためだ」とか明確に答えてはいません。しかし、イエスは質問に続く説明の最後に「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。」と述べられています。ここから捉えてみると、イエスの語られていることはみんなのためであるけれど、特に弟子たちのためということができるかもしれません。
私たちの生きる世の中は情報があふれており、私たちはその情報の取捨選択を迫られています。その中でどの情報が自分に関係があり、自分に関係がないかを見極める必要があります。その時に、私たちは前述のペトロのような態度になってしまうのかもしれません。
たしかに情報の取捨選択は必要ですが、イエスのように私たちに語りかけられることについては何かそこにあるのかもしれません。イエスがこの箇所で伝えられているとおり、「用意」をし、そして私たちに語りかけられることに耳を向けていくことを大切にして、イエスの望みを見極められるように祈り求めたいものです。
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