先日、三重県の津市に忠犬ハチと飼い主の銅像が建てられました。忠犬ハチ公の美談はよく知られています。忠実・誠実といった徳は万人に通じるものですね。洗礼の約束に忠実であること、結婚の約束に忠実であること、修道誓願に忠実であること。私たちは一人残らず、忠実であるべき約束や誠実であるべき相手を持っていることでしょう。もし忠実の徳が私たちの心を惹き付けるとすれば、それはその「変わらぬ」点にあるのだと思います。カトリック教会の結婚式では「順境にあっても逆境にあっても」互いに愛することを新郎新婦が約束します。自分の都合に合わせて神さまを愛することは、真に心のこもった礼拝ではありません。そして、どんなときも心を込めて愛することは、決して自分に都合の良いことばかりではないことを私たちは経験から知っていますし、イエス様の生涯を見ても明らかです。十字架の苦しみなど嫌だったに違いありません。しかし、天の父への忠実な思いはそれを喜んで受け入れることを可能にしました。イエス様の十字架は、変わらぬ忠実さがこの上ない愛の表現であることを私たちに教えてくれています。
「イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。…今日わたしが命じるこれらのことばを心に留め、子どもたちにくり返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。さらに、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」(申命記6:3,6-9)
DAISUKE
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