今日は、教会で悲しみの聖母の記念日を祝います。マリアは神から最も祝福され、神の独り子の母として選ばれた方であると同時に、マリアは人間の最も深い悲しみも知っていました。イエスが生まれてすぐ、預言者シメオンから「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」(ルカ2,35)と告げられています。マリアは自分の役割を喜んで受け入れ、それを思い巡らし、主を信じて生涯を送っていたのです。
マリアは確かに全生涯に苦しみました。しかし同様に喜びと希望の人でもありました。マリアと神との親密な関係が、どんな悲劇にも耐え得る、慰めと信頼の源でした。「主の御言葉を信じたおとめマリアは、ご自分の御子が排斥され、ののしられ、十字架に付けられたのをご覧になった時も、神への信仰を失いませんでした。かえって、イエスの傍らに留まり、最後まで苦しみ、祈っておられました。そして、復活の輝かしい夜明けを見たのです。私たちの謙虚な奉仕の人生を持って、愛と真理の福音に忠実に留まる代価を喜んで払い、私たちのする事は何一つ無駄にはならない事を確信して、信仰を証しする事を、マリアから学びましょう。
マリアは、あくまで福音ではないのです。マリアの福音と言うものはないのです。しかし、マリアなしに福音は存在しないのです。マリアの使命は、地上におけるイエスの使命と全く同じ広がりを持っているが、同時にそれに尽きるものではないのです。その使命は、イエスの十字架上の死のかなたにまで及ぶのです。それは、イエスの復活と教会の誕生にも伴うのです。
ヨハネのように、私たちもマリアを自分の家に引き取るように呼ばれています。
Fr.Tadeusz
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