イエスの律法学者たちとファリサイ派の人たちへの厳しい批判が記述されています。イエスの批判の内容は、「言うだけで実行しない」「やることはすべて自分のため」「先生と呼ばれることを好む」です。人々がリーダーの好むことをするのは当たり前だと考えると、呼ばれることを好むというのは、呼ばせていると考えるのが自然です。これは己が人々を指導する者であること、上の立場であることを認めさせる行為でもあります。
イエスのユダヤ教のリーダーたちへの批判を総合すると、ユダヤ教のリーダーたちが特権意識を持っていて、特権階級にいることを全面に押し出して、人々との格差をことさら強調していることがわかります。その意識とその在り方にイエスは厳しい批判のことばを向けたのです。本当に上の立場で、先生であるなら謙虚であるべきというのがイエスの主張です。何でも自分のためであると意識してそのように行動するときに、神に仕え、その義務と責任を果たすことも自分のため、つまり神に従うことは自分のためとなり、いつしか神への畏れを失ってしまうことになりかねません。謙虚であることは周りの人たちへの態度だけではなく、神の前にへりくだることでもあるのです。
イエスの厳しい批判は、ユダヤ教のリーダーたちがもっとも大切な神を畏れ、神に仕えることを忘れていることにあったのではないかと思います。心の傲りを捨てることの大切さを忘れないようにしたいものです。
T.K
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