今日は、聖ヨハネ使徒福音記者の祝日を祝っています。ヨハネは、「主に愛された弟子」(ヨハネ13,23)としても知られています。イエスはヨハネに「雷の子」(ルカ9,54)とあだ名を付けられました。彼は十二使徒の中で、何度も大事な出来事があった時にはイエスのそばにいました。ご変容の時にも(マルコ9,2)、イエスのゲツセマネの園での苦しみの時にも(マルコ14,33)、その場にいました。最後の晩餐の時にはイエスのすぐ横に座り(ヨハネ13,23)、十字架の下ではマリアと共に立っていたただ一人の弟子でした(ヨハネ19,26)。
ヨハネの言葉に大きな重みを与えるのは、このイエスとの親密さでした。彼の唯一の狙いは、世にイエスを伝えることでした。ヨハネは、仲間の使徒シモン・ペトロと同じく、「巧みな作り話」(2ペトロ1,16)を用いたのではありませんでした。ヨハネの言葉には真理の響きがありました。それはヨハネが、人となられた真理であるイエスに親しく結ばれていたからです。彼は御子の受肉につて語る時、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れた命のことばについて伝えます」(1ヨハネ1,1)。イエスは人の姿で来て下さったので、見て、触れて、聴くことができました。イエスは私たち人間に神のいのちをもたらすために来られたのです。
福音書はヨハネの証言だけで終わるのではありません。聖霊によって、私たちは一人ひとりが、イエスを深く体験することができます。神の言葉が単なる言葉以上のものだからです。つまり、神のことばであるイエスは神の言葉を語り、それらを「生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く」(ヘブ4,12)、私たちをイエスと直接向き合わせる力に満ちています。私たちの心を変える力がるのです。ヨハネに倣って、新しい年には、彼を道案内としてイエスの後を追って走る決心をいたしましょう。
Fr.Tadeusz
|