12章はファリサイ派や律法学者といったユダヤ教のリーダーたちとイエスとの対立が明らかにされています。この箇所の直前の話は、イエスが安息日に手のなえた人を治癒する内容ですが、安息日に治癒行為をすることに反対するユダヤ教のリーダーたちに対して、イエスは安息日であっても井戸に落ちた羊を助けることが許されているなら、人間が癒されることにどんな問題があるのかと問いかけました。この問いに反論できずに、イエスの治癒行為を不本意ながら認めてしまったユダヤ教のリーダーたちはイエスを殺す相談をしました。このような動きに気付いたイエスは身を危険から遠ざけようとします。
不思議なことに、イエスが目立たないようにすればするほど逆に人々がイエスの周りに集まってきます。イエスが病気の人を癒して誰にも言わないようにと戒められれば戒められるほど、どんどん人々にイエスのうわさが広まっていきます。人に知られまいとすればするほどイエスの人気が高まっていく状況が描かれています。私たちには自己顕示欲があります。誰でも他人から認められたい、よく見られたいという願望があります。時には実態以上によく見せようとすることがあります。虚栄心にかられてとった行動をふりかえって、自分のあさましさを恥ずかしく思うことがあります。
私たちは他人に対して何か行動するときに“動機”を意識することを忘れないようにしたいと思います。本当に他人のために行動することができる温かい心、やさしさを持つことができるようになりたいものです。
T.K
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