安息日には労働が禁止されていました。ですから弟子たちが麦を摘むのは刈り入れという労働、手でもむのは脱穀作業ということで、安息日の掟を破っているとファリサイ派の人々は非難します。
イエスはこれに対し、神を崇めるという口実のもとに、その順序を逆にしたファリサイ派の遵法主義の狭量さを告発します。律法に対するイエスの自由そのものが、律法に意味を与えています。周囲の混乱を招くほどにイエスが律法違反を恐れないのは、彼の自由が、彼の隣人愛の一つの形だからです。イエスの行動規範としてあるのは、神に対する子としての振る舞いと周囲の人への現実の愛のみなのです。(参考『自由人イエス』55〜56頁 クリスチャン・デュコック著 竹下節子訳 ドン・ボスコ社)
YS
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