イエス様の奇跡を目の当たりにしたファリサイ派の人々は、イエス様が悪霊の頭の力で悪霊を追い出していると非難します。これは妬みなのでしょうか。きっと群衆の心がますますイエス様の方に傾いて行くのが気に入らなかったのでしょう。
しかし、単なる妬みの言葉でもなさそうです。群衆の「こんなことは今までイスラエルで起こったためしがない」というのがポイントです。つまり、人々は「新しい」ものを見たのです。何か新しいことをしようとすると、「今まではそのようにしたことはない」とか「ずっとこのようにやってきた」とか言われることがあります。まさにそれです。どんなに良い行いであっても、今までのやり方=ファリサイ派の人々のやり方=掟に従ったやり方、に沿わなければ、受け入れられないわけです。掟に沿わなければ、神のわざとは認められないのです。
ファリサイ派の人々の態度は単なる妬みで片付けられるものではありません。もっと深刻だと思います。掟の意義を理解せず掟に縛られているのです。それに比べ、イエス様を突き動かす原理は「うちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」です。ずいぶん違いますね。
私たちもイエス様と同じ心を持つ働き手となれますように。
DISUKE
|